1 裁判官訴追委員会は、本年6月16日、岡口基一裁判官(仙台高等裁判所判事兼仙台簡易裁判所判事)の罷免を求めて裁判官弾劾裁判所に訴追した(以下「本件訴追」という。)。
2 本件訴追は、岡口裁判官のSNSへの投稿や記者会見等での発言が罷免事由である「裁判官としての威信を著しく失うべき非行」(裁判官弾劾法2条2号)に該当する事実があったことを理由としており、その具体的事実として、自己が裁判官であることを他者が認識できる状態で、刑事事件被害者遺族に関する10件(インターネット上への投稿8件、記者会見での発言1件、取材インタビューにおける発言1件)の投稿及び発言によって、これらを不特定多数の者が閲覧又は視聴可能な状態にして被害者遺族の感情を傷つけるとともに侮辱したこと、犬の返還請求等に関する民事訴訟に関する3件のインターネット上への投稿によって、これらを不特定多数の者が閲覧可能な状態にし、もって裁判を受ける権利を保障された私人である訴訟当事者による民事訴訟提起行為を一方的に不当とする認識ないし評価を示すとともに、当該訴訟当事者本人の社会的評価を不当におとしめたことが挙げられている(以下、これらの投稿・発言を合わせて「本件投稿等」という。)。
3 弾劾により裁判官を罷免する場合は、①職務上の義務に著しく違反し、又は職務を甚だしく怠ったとき、又は、②その他職務の内外を問わず、裁判官としての威信を著しく失うべき非行があったとき、と定められている(裁判官弾劾法2条)。
弾劾裁判による罷免は、裁判官としての身分のみならず、法曹としての資格をも失わせるものである(弁護士法7条2号、検察庁法20条2号)。それ故、裁判官弾劾法2条も、「著しく」「甚だしく」といった文言を使って罷免事由を厳格に限定し、法曹資格を喪失させるに値する行為のみを対象にしていると解される。過去の罷免訴追事件において、「裁判官としての威信を著しく失うべき非行」と認定されたのは、職権濫用的な行為、収賄的な行為、政治的な謀略への関与といった明らかに裁判の公正を疑わせるような行為であったり、児童買春、ストーカー行為、女性のスカート内の下着を盗撮するといった裁判官としての威信を失墜させるような破廉恥な行為であった。
4 これに対して、本件訴追は、本件投稿等、すなわち、岡口裁判官の私的な表現行為を理由とするものである。
確かに、本件投稿等の中には、被害者遺族の感情を傷つけるなど不適切と評価されうる内容もある。しかし、それのみをもって罷免事由該当性を認めるのは、行為と結果の均衡を失するため相当ではない。
すなわち、表現の自由(憲法21条1項)は、個人が自由にさまざまな意見、知識、情報に接し、これを摂取することにより自己の思想及び人格を形成・発展させるという価値(自己実現)、自由な言論により国民が政治的意思決定に関与するという民主主義国家の政治的基盤として不可欠な価値(民主制の維持)を有する重要な人権である。そして、人権の砦としての役割が求められる裁判官についても、表現の自由を含む人権が十分に保障されていてこそ、その役割を果たして公正な裁判を維持することができ、それを通じて司法に対する信頼が確保される。
かかる表現の自由の価値の重要性及び裁判官に表現の自由を保障する意義を踏まえれば、表現行為を理由に法曹資格の喪失という重大な効果を生じさせる罷免を行うにはそれに見合うだけの重大な違法性が存在しなければならない。つまり、表現行為が、「裁判官としての威信を著しく失うべき非行」というためには、当該表現行為に法曹資格を喪失させてもやむを得ないと評価できるだけの重大な違法性が必要である。
本件投稿等について見ると、SNS「Facebook」への投稿の中で用いられた「洗脳されて」という表現は、不適切と評価されうる。しかし、それが表現の自由の上記意義に照らして、法曹資格を喪失させてもやむを得ないと評価できる程度の重大な違法性を有しているとまでは認められない。
同様に、他の投稿・発言内容(基本的に岡口裁判官が認識した事実を紹介するものである)も、意見・論評にあたる部分も、法曹資格を喪失させてもやむを得ないと評価できる程度の重大な違法性を有しているとまでは認められない。
したがって、本件投稿等は、罷免事由である「裁判官としての威信を著しく失うべき非行」には該当しない。
5 岡口裁判官に対する罷免の裁判がなされた場合、それは、裁判官弾劾裁判所が裁判官の表現活動を理由にして裁判官を罷免できるという先例になる。そして、そのような先例の存在は、裁判官の一市民としての私的な表現活動に強い萎縮効果をもたらすほか、裁判官の身分保障(憲法78条)、ひいては裁判官の独立(憲法76条3項)に対する重大な脅威となり、三権分立のバランスを崩す契機となりかねない。
6 よって、当会は、本件訴追が憲法上極めて重大な問題を有していることに警鐘を鳴らすとともに、本件訴追をした裁判官訴追委員会に対して重大な懸念を表明し、また、裁判官弾劾裁判所に対し、表現の自由の重要性と表現活動を理由とする罷免が裁判官の独立に対する重大な脅威となり得ることを踏まえ、罷免事由を厳格に解釈し、岡口裁判官を罷免しないとする裁判をされるよう求める。
2021年(令和3年)10月21日
仙 台 弁 護 士 会
会 長 鈴 木 覚